印鑑の事例が多数
A君が登校拒否になったのは何も極端に学力で他の級友達に劣り、コンプレックスに悩まされた末ではない。
まず一番の理由はA君にとってK校の親切さが災いした。
生徒指導の一環としてK校ではどうしても勉強一途になりがちな生徒たちに連帯感をもたすことを目的として、スポーツに力を注いできた。
クラブ活動は自由参加なのだが、入らないと担任からそれとなく父兄にまで注意されるという按配であった。
A君はとくにスポーツが苦手というわけではない。
運動部特有の先輩・後輩の親しみ方が異常と感じられた上に、体育教官の罵声が耐えられなかった。
体と体のぶつかりあい、泥と血と汗が青春なのだ、などといわれると寒気がした。
どう考えてもA君には正気の沙汰でない暴力としてしかうつらなかった。
結局A君は仲間意識をもたせようとする学校の方針とはうらはらに、仲間のなかでひときわ孤立した。
友達は皆無になった。
K校のやり方は度を越せば確かに戸塚ヨットスクールになってしまう。
A君の経験したものがそれほどのものだったとは思えない。
A君は後になってその時の級友達のことをこういった。
「彼らはとても楽しそうでした。
が、私はどうしてもその輪に入っていけない……。
その上、運動をやっている彼らの方がいい成績をとるようになった。
勉強ばかりで何もやってない自分よりも……。
そのことがだんだんイヤ気につながって、気がついてみたら朝、寝床から起きられなくなっていました A君がK校の親切を受け入れられなかった理由は、A君の家庭が誰も大声一つ出さない非常に静かな家庭であった上に、加えて母親ゆずりの異常なまでの繊細さ、潔癖感のせいでもあった。
また口数のすくない仕事熱心の父親も、A君兄弟に手を上げたことなど一度もなかった。
だからA君はこうもいう。
「スポーツをやっていても何かでしくじって、殴られる仲間を見ているうちに、いつ自分が殴られるのか、ということばかり考えるようになった。
殴られるという現実よりも殴られることへの恐怖が昂じて学校へ行きたくなくなった」A君がかたくなな登校拒否で自宅学習している間、A君の母親はそれこそ必死の思いでカウンセラーのはしごをした。
仕事を理由に毎回は同行できないという夫にたいして、A君の母親はこの時ばかりは強かった。
夫が同行できないと主張すると、しばしばヒステリーの発作を起こすようになり、この頃から精神安定剤を常用するようにたっていた。
また肝臓病の発病もこの頃であった。
そのことについてA君はこう信じている。
「母の病気は私のせいなのです。
ある時、送られてきたチョコレートの大きな箱を母は一人で全部食べちゃって。
そのつぎの日から熱を出したのですから」真偽のほどはわからない。
とにかくA君はそういうふうに信じている。
確かなのはこの当時A君の父親にはいまだ愛人はいなかった。
愛人ができたのは妻の発病以降のことで、それだけとり上けるとひどくモラルに反するようではあるが、そうではないとA君は父親をかばう。
「父も私のことで疲れてしまったのではないでしょうか。
あの頃は私も母も病気でしたから」A君の登校拒否は区立Q中学への転校で、一応治った。
Q中学はK中学とくらべものにならないほど、受験に関して呑気なところであったから、A君はトップの座から落ちることもかく、順調に都立高校・有名私立大学へと進んだ。
この間に蹟きはなかった(大学入試の際、東大を受けて不合格となったが、このことはまったく傷にはならなかった。
むしろ、東大に合格可能として担任が受験を勧めてくれたことの方に、自負を感じつづけていた)。
頻繁につきあうとか、腹をわって話すとまではいかないにしろ、卒業後も文通したり、軽く酒を飲んだり、ジャズを聞きに行くといった二、三の友達もこの時期にはできた。
相手はA君によく似た神経質でおとなしい、やや気の小さいタイプで、勉強はできるが、霜気に乏しいという点が共通していた。
こういう相手だとA君も安心していられたようであった。
さて話を教職についたA君に戻したい。
教師歴二年目をA君の全盛期と書いたが、得意の絶頂期ともいいかえたい。
A君は身長が1ス5センチ、5スキロ。
やせ型の美男である。
新任当時から、俳優の篠田三郎に似ているという評判が立って、一躍女生徒の憧れの的になった。
まだまだ女子だけの中学校では若い独身の男の教師はもてる。
誰でももてる、といってしまえば語弊かおるが、たいていもてる。
とくにルックスが並みよりよければ熱狂的にもてる。
その点A君は並みよりよかったからそのフィーバーぶりは想像に難くない。
A先生ファンクラブというのができた。
A君が顧問をしていた国語クラブにはどっとクラブ員が集まった。
さらに新しくできた演劇部の顧問も兼ねると、国語クラブと演劇部との間でA先生の独占権をめぐって小競り合いが絶えなくなった(といっても、幼稚園から大学までつづいている名門附属中学校のことであるから、スケバンが存在してどうのとか、暴力沙汰になるとかいうことにはけっしてならないのだった。
きわめてお嬢さん風のややクラシックな小競り合いであったわけだ)。
その当時、A君は毎日が充実していると感じた。
クラブの顧問を二つ兼ねているので日曜日も出校する日がふえた。
それもまったく気にならなかった。
まさにルンルン気分であったのだ。
その一方、A君は他のベテラン先生にならってすこしずつ要領を覚え、授業の手を抜くなどということは考えたこともなかった。
毎日、家に帰りついてから、最低三時間、多い時は五時間以上も授業のための下調べと、綿密なノート作りに費やした。
A君はまたメモ魔であり、ホームルームでも部活動の場でも職員室でも朝礼でもメモをはなしたことがなかった。
メモをしていないと不安なのである。
実際問題、A君はメモなしで覚えていられる記憶はほんのわずかしかなく、ごっそり作ったメモをその日のうちにノートに整理しておかないと不安で不安でならなくなるのだった。
この習慣は中学生の頃転校して以来身についたもので、その甲斐あって以来、A君の成績は抜群なのであった。
A君はどこの場にいても非常に几帳面な人でとおったし、敬意も払われた。
ちょっと普通の人が憶えていないようなことまでメモのおかけで、役立てることができたからである。
たとえば、校長の冗談口まで筆記してあったから、修学旅行の際など気むずかしい校長の食べ物の好みを前もって周囲が知ることができ、おおいに面目をほどこしたこともあった。
これは一種のジョークに類する話であって、たいていA君のメモ魔ぶりは勤勉とうつった。
ほめる人はあったがけなす人は皆無だった。
A君とそう年齢からかわない若い男の教師たちもやっぱり秀才は違うなという目で見て、畏敬しているようであった。
だから、A君の授業が存外つまらぬ内容であるにもかかわらず、女生徒たちにウケているようであっても、A君の態度がやにさがっているとか、増長しているとか陰口をたたく向きはなかった。
事実A君は女生徒相手におもしろおかしく授業をするとか、冗談をいうとか、思わせぶりのスマイルをするとかいうことはまったくなかった。
その点、A君はまさしく女子校向きの文句のない模範教師であった。
A君はあまり表情の変わらない端正な顔で、いつも淡々と女生徒に接していた。
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